どうぶつ達 最期のとき

家族が亡くなった。この喪失感は当事者にしかわかりません。

僕は仕事柄たくさんの動物の最期に立ち合います。

「最期一緒にいれてよかった」「もうちょっと早く気づけてれば違ったかな」「介護が長かったから、悲しいけどやっと楽になれてよかったね」など喪失感と共に添える言葉はそれぞれと思います。

死への準備は誰にもできません。

病気を把握して準備しているとおっしゃっている飼い主さんも、いざその時を迎えると喪失感で押し潰されそうになります。

最期の時は突然で「腕の中で見守り亡くなる子」「回復を信じて入院している最中」「突然」などなど形も様々でしょう。

「もっと何かやってあげれたのでは」「不調に気付いてあげれなかった」自分を責める飼い主さんも多くいます。気の済むまで自問自答してください。それは気持ちを整理していくのに必要なプロセスだと思います。

しかし自分を責めすぎないでください。あなたは当たり前だと言うかもしれませんが、どうぶつのためにそこまで思える、家族のためにそこまで尽くそうと思える素晴らしい人です。

「自分が気づけなかった」と悔やむ方も多いですが、死期の近いどうぶつ達も最愛なる飼い主を心配させないようにとなるべく不調を見せないようにする事もあります。お互いに想いあっての結果という可能性もあるのです。

これは綺麗事かもしれません。僕自身はこういう考えがあまり好きではありませんでした。人間の都合のいいように解釈しているだけだと。ただ最期を看取る事が多い現場では奇跡としか言えないタイミング、待っていたとしか思えないような死の瞬間というものがあり、今ではどうぶつ達も残された家族を心配させないようにと考えているのかなと感じます。

ただ客観的、理論的には早く見つかれば治せる確率も高まるのは事実だと思います。

長年一緒に暮らしているどうぶつのささいな変化に獣医師より早く気づけるのは飼い主さんです。その変化を僕たち獣医師へ遠慮なく教えてください。

これは大丈夫だよと言われる事もあるかもしれません。それでいいんです。別に怒られたりしません。ささいな変化でどうぶつ病院を受診しちゃダメなんてルールもありません。

また、獣医師も完璧ではありません。全部の種類の全部の病気を知っている獣医師は1人もいません。

その子にとっての最善を見つけるために一緒に悩んでくれる主治医を見つけましょう。

日々精進ですね。1年やってるCT読影トレーニング今週の課題で、ぜんぜんダメのD評価な私はしょんぼりです。

どうぶつって可愛いよね。それだけで正義。ではまた明日。

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